25. ビルグを歩く -3 (マルタ)
騎士たちの宿舎ビルグの中の路地を歩く。路地の両脇には、あちこちに聖ヨハネ騎士団ゆかりの建物が残されているんだ。例えば右の画像の中の通りの左側手前の建物は、1555 年当時のオーヴェルニュとプロヴァンスのオーベルジュ(宿舎)、その向こうにはフランスのオーベルジュ。ヴァレッタ建設まで、聖ヨハネ騎士団によって使われていた建物なんだそうな。 |
ガレー船のキャプテンの宿舎路地を抜けて海岸に下り、聖アンジェロ城砦に向かって歩く。やがて右手に聖ヨハネ騎士団艦隊のガレー船のキャプテンの宿舎だった建物(下の画像)を見ることができる。(下の画像の左奥に見えているのは、聖アンジェロ城砦。)
聖ヨハネ騎士団は、ロードス島を本拠にした頃から、陸戦よりもむしろ海戦を中心とした活動に切り替えていったらしい。オスマン・トルコ艦隊をキリスト教徒艦隊が撃破したレパントの海戦にも、聖ヨハネ騎士団はガレー船艦隊を参加させているんだよ。 また、聖ヨハネ騎士団は、当時の地中海の軍船であるガレー船を駆って、イスラム教徒の船舶を襲ってもいたんだ。そんなわけで、当時の聖ヨハネ騎士団のガレー船のキャプテンは、騎士団の中でもエリートだったんだろうね。 ちなみに、ガレー船のキャプテンたちの宿舎の近くには、もう少し粗末な建物もある。こちらは軍船の水兵たちの宿舎だろうか。イスラムの人々に恐れられた聖ヨハネ騎士団の船乗り達は、この宿舎で鋭気を養っていたんだね。 聖アンジェロ城砦の堅固な守り海軍力を中心とした活動に切り替えたとはいっても、聖ヨハネ騎士団が陸戦を忘れたわけじゃなかった。西暦1565年にマルタに侵攻したオスマン・トルコ軍が、再びマルタ島に上陸してくると予想していたからね。そこで、聖ヨハネ騎士団は本拠地マルタ島の防備も固めていた。例えば、下の画像に見えるのは聖アンジェロ城砦とビルグとの境界にあたる部分の防備。オスマン・トルコ軍が陸から攻めてきた場合の守りを固めているわけだ。
オスマン・トルコを中心とするイスラム教徒勢力に対して、海陸の両面から守りを固めていた聖ヨハネ騎士団。でも、その守りは聖ヨハネ騎士団の内部から崩れていったみたい。 フランス革命からしばらく経った西暦1798年、エジプト遠征途上のナポレオンがマルタ島に立ち寄った。既に戦士の集団としての性質を失っていた聖ヨハネ騎士団は、戦わずして本拠地マルタ島をナポレオンに明け渡してしまったんだ。いくら防備を固めても、心を失っては守ることは出来ない・・・・・ということなのかな。
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