聖ヨハネ騎士団の島 マルタ

ヴァレッタ、スリー・シティーズ、ラバト、イムディナ
2000年5月

グレート・シージにおける
聖ヨハネ騎士団の最大の危機

  • 1565年8月7日、数日間に及ぶ砲撃に続いて、ビルグとセングレアに対する何度目かの総攻撃が始まった。

    ビルグに対する陸からの攻撃は、聖ヨハネ騎士団側の奮闘によって押し戻された。

    しかし、セングレアの聖ミカエル城砦においては、事態は切迫しつつあった。ビルグ側にも攻撃が続けられていたために、騎士団はセングレアに増援部隊を送ることが出来なかった。

  • チャンスと見たオスマン・トルコ軍の指揮官ムスタファ・パシャは、精鋭のイェニチェリ部隊に対し、突撃命令を下した。

  • 他方、わずかな騎兵部隊と民兵のみによって守備されていた静寂の街イムディナでは、聖ヨハネ騎士団所属の騎士ド・ルニー指揮下の騎兵部隊に出撃命令が下されていた。

    イムディナの騎兵部隊は、トルコ軍の偵察部隊を避けて迂回し、グランド・ハーバーの奥にあるマルサの南西に到達。そこで戦闘体勢を整えた騎兵部隊は、トルコ軍の野営地に突撃を行った。

    総攻撃を行っていたトルコ軍の野営地は、ほとんど無防備の状況にあった。イムディナの騎兵部隊はテントに火をかけ、病人・負傷者を殺戮し、馬を捕獲した。

  • ムスタファ・パシャが自軍の野営地に対する聖ヨハネ騎士団騎兵部隊による攻撃の知らせを受けたのは、精鋭イェニチェリ部隊に突撃命令を下した直後のことだった。

    オスマン・トルコ軍野営地への攻撃を行ったのはキリスト教徒の大部隊であるとの誤報を受けたムスタファ・パシャは、シシリア副王ドン・ガルシア・デ・トレドの増援部隊が上陸したものと考え、イェニチェリ部隊に攻撃打ち切りを命令した。

  • 野営地に引き返したムスタファ・パシャが真相を知ったとき、聖ヨハネ騎士団の将兵を皆殺しにし、ただ騎士団長ラ・ヴァレッテのみは捕えてスルタンの許に連行することを父祖の骨にかけて誓った。

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