|
|
|
|
|
|
|
聖ヨハネ騎士団の島 マルタ
ヴァレッタ、スリー・シティーズ、ラバト、イムディナ
2000年5月
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
9. 聖アンジェロ城砦 -1 (マルタ)
カルカーラからビルグの北岸を歩くにつれて、聖アンジェロ城砦(下の画像)が近づいてくる。
如何にしてオスマン・トルコ軍を防ぐべきか ?? (聖ヨハネ騎士団内部の議論)
マルタ島に上陸したオスマン・トルコ軍による聖ヨハネ騎士団に対する攻囲が始まって 3 ヶ月になる 1565 年 8 月下旬、繰り返されるトルコ軍の総攻撃を跳ね返すたびに兵力を消耗していた騎士団では、今後の戦闘体勢に関して議論が行われた。
一部の騎士達は、全ての拠点を防衛することは不可能であると主張し、ビルグ 及び セングレアを放棄し、聖アンジェロ城砦に兵力を集中すべきだと主張していた。
聖ヨハネ騎士団の騎士団長 ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレッテ
それを受け入れず、聖アンジェロ城砦と共にビルグ 及び セングレアを守り通すことを主張したのが、騎士団長ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレッテだった。
聖ヨハネ騎士団の騎士団長ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレッテは、28 歳のときにロードス島でオスマン・トルコ軍との戦いを経験していた。そして西暦 1557 年に 63 歳にして騎士団長に就任した彼は、グレート・シージが始まった時点で 70 歳になっていた。
|