8. カルカーラ・クリーク (マルタ)バスを降りた峠の上の停留所から坂道を下り、入り江の集落に出る。このあたりがカルカーラだ。そして、下の画像がカルカーラ・クリーク。(地理をチェックしたい人には、ヴァレッタやスリー・シティズ周辺の略図。下手な図で恐縮だけど。)
1565年6月23日、オスマン・トルコの大軍と戦っていた聖ヨハネ騎士団を支援するシシリアからの小規模な部隊が、上陸したオスマン・トルコの大軍が溢れるマルタに到着した。 彼らはトルコ軍に発見されることなくカルカーラの入り江に辿り着き、小船に乗ってビルグに入っている。でも、その同じ6月23日、一ヶ月もの猛攻に耐えた聖エルモ城砦が陥落しているんだ。 ちなみに、この近くには、第1次世界大戦の際に地中海での作戦行動に参加し、命を落とした日本の海軍将兵の慰霊碑があるらしいよ。でも、今回は訪ねる時間が無いなあ。 カルカーラ・クリークには多くの小船が浮かんでいる。マルタの船の舳先には目が描かれていると資料にあるんだけど、この入り江の船に描かれているのは鳥が多いみたい。マルタの中でも地域差があるのか、それともデザインにもトレンドがあるのかな。 聖ヨハネ騎士団が守り抜いた聖アンジェロ城砦カルカーラから聖アンジェロ城砦に向かって歩き始める。その途中のビーギの浜から眺めた景色が下の画像。
上の画像の中央には、聖ヨハネ騎士団が守り抜いた聖アンジェロ城砦。その右手に見えているのが、マルタの首都ヴァレッタのある半島だね。 |
聖ヨハネ騎士団が築いた要塞都市ヴァレッタ (マルタ)そして、ビルグの浜から眺めたヴァレッタ(聖ヨハネ騎士団の築いた要塞都市にして、現在のマルタの首都)の眺めが下の画像なんだ。
半島の先端(右端)には、聖エルモ城砦がある。聖エルモ城砦に対するトルコ軍の砲撃が始まったのは西暦1565年5月24日。そのトルコの砲が配置されたのが、聖エルモ城砦を見下ろす位置にある高台シベラス山だった。 グレート・シージを跳ね返した後、騎士団長ラ・ヴァレッテは、オスマン・トルコが再び侵攻してくるものと予想していた。その際に聖エルモ城砦を砲撃する絶好の位置にあるシベラス山を敵に渡すことを阻止するために、その地に要塞都市ヴァレッタを建設したわけだ。 ヴァレッタ建設の際に山の地形は変えられたが、シベラス山が聖エルモ城砦を見下ろしていることが上の画像からもわかるよね。
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