4. ヴァレッタを歩く -2 (マルタ)ヴァレッタ市内のホテルに戻る途中で、ちょっと寄り道。勝利の聖母マリア教会
右の画像は、勝利の聖母マリア教会という小さな教会。1565年のオスマン・トルコによるマルタ侵攻を撃ち破った後、ヴァレッタで最初に建てられた建物なんだそうだ。はっきり言えば、建物自体は大したことはない。でも、オスマン・トルコの大軍を追い返すことが出来たことを神に感謝する気持ちで建てた教会なんだろうね。 ちなみに、日本のガイドブックの中には、「勝利の女神教会」と紹介されている例もあるんだ。しかし、それでは一神教であるキリスト教の趣旨に反すると考えて、私は敢えて「勝利の聖母マリア教会」とご紹介するわけだ。(英語名は、Our Lady of Victories Church。)
勝利の聖母マリア教会の中をのぞいてみた。数人の信者が祭壇に向かって静かに礼拝を捧げていた。彼らの礼拝の邪魔にならないように、内部の様子を撮影する。もちろん、フラッシュは使わない。こういう場所では当然だよね。 オーベルジュ (騎士たちの宿舎)先に書いたけど、ヨーロッパ各地から聖ヨハネ騎士団に参加していた騎士たちは、出身地ごとに(あるいは言語ごとに)「ラング」(あるいは「タング」)の呼ばれるグループを作っていた。その騎士たちのラングは、それぞれに騎士たちのための宿舎(オーベルジュ)も用意していたんだ。下の画像は、首都ヴァレッタ市内にあるマルタの首相官邸なんだけど、この建物は、かつてカスティリア・レオン・ポルトガルのラングのオーベルジュ(宿舎あるいは本部)だったんだそうな。
ちなみに、イベリア半島出身の騎士たちが帰属するラングとしては、他にアラゴンがあった。アラゴンが独立した一つのラングを構成し、他方でカスティリア・レオンはポルトガルとともに別のラングを構成しているというのが、当時の民族感情をうかがわせて面白いよね。 少なくとも当時のスペインは、今日の私たちが思うような「統一国家」ではなかったということを示しているんだろうな。もちろん、現在のスペインでさえも、カタルーニャやバスクなどの問題を抱えていることを考えれば、「統一国家」と言って良いのか、悩ましいけどね。
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