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聖ヨハネ騎士団の島 マルタ
ヴァレッタ、スリー・シティーズ、ラバト、イムディナ
2000年5月
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2. 聖ヨハネ大聖堂 -2 (ヴァレッタ、マルタ島)
聖ヨハネ大聖堂の中の薄暗い側廊(右の画像)を歩く。
この側廊を、かつては聖ヨハネ騎士団の騎士たちも歩いたんだろうな。
既に領邦国家が中央集権体制を確立し始め、騎士や貴族たちがかつての地位を失い始めていた頃の話。他方では、宗教改革の嵐も吹き荒れていた時代だよね。
側廊の奥まで歩けば、聖ヨハネ大聖堂の主祭壇(下の画像)を間近に見ることが出来る。聖ヨハネ騎士団の艦隊の乗組員たちは、イスラム教徒の船を求めて出撃する前に、ここで神に祈りを捧げていったのだろうか。
ラング (騎士たちのグループ)
聖ヨハネ騎士団に所属していた騎士達は、出身地域(或いは言語というべきか)毎にグループ(「ラング Langue」あるいは「トング Tongue」)を構成していた。そして、各々のグループ「ラング」は大聖堂の側廊に礼拝所を持っていたんだ。
右の画像は、聖ヨハネ大聖堂の側廊にある礼拝堂の壁で見かけた天使。百合の紋章を描いた盾を抱いているところを見ると、この礼拝堂はフランス出身の騎士たちのラングのものだったんだろうね。
余談ながら、マルタの首都ヴァレッタに名を残したグレート・シージ当時の騎士団長が、ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレッテ。彼もフランスの出身なんだ。但し、トゥールーズ出身の彼が属していたラングはプロヴァンスであって、パリを中心とするフランスのラングではなかったらしいけどね。
当時のフランス出身の騎士達は、(狭義の)フランス、オーヴェルニュ、そしてプロヴァンスという三つのラングを構成していたらしいよ。
聖ヨハネ大聖堂とカラヴァッジョ
話は変わるんだけど、このマルタ島の聖ヨハネ大聖堂には、イタリア・バロックを代表する画家カラヴァッジョの作品も残されているんだ。(私はその作品を見逃してしまったんだけど・・・。)
何故にカラヴァッジョの作品がこのマルタ島に ?? 著名な画家でありながらもとんでもないアウトローだったカラヴァッジョは、殺人犯として追われていたんだそうな。そこで、このマルタ島に身を潜めていたらしいよ。
そんなイタリア・バロックの画家カラヴァッジョは、西暦1610年にイタリアの首都ローマの近くで亡くなっている。殺人に関してローマ法王の赦しが出たのに、それが本人の手に届く前に亡くなったんだそうな。
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