マルタ・ゴゾ入門

地中海の十字路 マルタ島・ゴゾ島の旅行記
(1998年12月)

マルタ島 1998年12月27日

17. ムディナとモスタ・ドーム (マルタ)

マルタの古都 ムディナ(あるいはイムディナ)

今日は色々と観光して周り、既に夕方近い。空もかなり暗くなってきた。でも、一つ見落としている場所がある。それがマルタの古都ムディナ(あるいはイムディナ)。そのムディナの城壁に守られたゲートが、下の画像なんだ。

マルタの古都ムディナ(サイレント・シティあるいは沈黙の街

マルタ島の中央部のやや小高い地域にあるムディナは、西暦1566年に始まる聖ヨハネ騎士団によるヴァレッタ建設までマルタの首都だった街なんだ。

ムディナ あるいは イムディナ
  • 古代ローマ人は、今のムディナのことをメリタと呼んだ。その言葉が、マルタという島の名前の語源であるとの説もある。

  • 西暦 870年にマルタを占領したアラブ人は、街をメディナ(城壁に囲まれた街)と呼んだ。その呼び名が今のメディナの起源となった。

  • ムディナにある大聖堂は、かつて聖パウロがマルタに漂着したとき(西暦 60年)に滞在した場所に建てられたと言われている。当時のその場所には、ローマから派遣された総督プブリウスの屋敷が有った。そのプブリウスは、後にマルタ島の初代司教になったと伝えられる。

  • 西暦 1429年、イスラム教徒がマルタに侵攻してきた。聖ヨハネ騎士団がマルタに来る前、島がアラゴンの統治下にあった頃のことだ。ムディナの人々はイスラム教徒から街を防衛した。その抵抗を評価したアラゴン王アルフォンソ 5世は、街にチッタ・ノタビレ(重要な街)という名前を与えた。

  • 1565年のオスマン・トルコの侵攻をしのいだ聖ヨハネ騎士団は、新しい首都ヴァレッタを建設。以後、古都ムディナはチッタ・ヴェッキア(古い街)という名前を得た。

サイレント・シティ (沈黙の街 あるいは 静寂の街)

聖ヨハネ騎士団によって建設された要塞都市ヴァレッタがマルタの首都の地位を奪ってから、古都ムディナ(あるいはイムディナ)は時代の流れから置いてけぼりを食ってしまった。その結果、ムディナの街を走る道は中世そのままの狭いままに残され、今でも車が走ることの出来ない場所が多いんだそうな。

車の走ることの出来ない古い街、故にムディナでは静かな時を過ごしている。そして、人々は古都ムディナをサイレント・シティ(沈黙の街 あるいは 静寂の街)と呼ぶ。その沈黙の街を夕闇が覆いつくす(下の画像)と、まるで時間さえも流れるのをはばかっているようだね。

暗闇のマルタの古都ムディナ(サイレント・シティあるいは沈黙の街)の街角

暗闇に覆われた沈黙の街は、むしろ不気味でさえある。しかも、路地が入り組んで迷子になっちゃう。街角で私たちを見下ろすマリア様だけが頼り ・・・ かな。輝く街灯が聖母の顔を照らしているのが有り難いよね。

奇跡のモスタ・ドーム

そろそろホテルに帰ろう ・・・ と思ったんだけど、古都ムディナの城壁から見えたのがモスタ・ドーム。ローマのパンテオンのような建物が遠い闇の中で輝いている。

せっかくだから、モスタ・ドームを見て帰ろうということになり、少し寄り道をする。そのモスタ・ドームの中には、なんと多くの人々 !! 皆さん、熱心に祈りを捧げている。ちなみに、マルタの人々は熱心なカトリックなんだ。いまだに離婚が許されていない数少ない国々の一つでもある。

モスタ・ドーム(マルタ共和国)

そのモスタ・ドーム。 1833年に着工され、完成までに 27年間を要した。そんなモスタ・ドームに奇跡が起こったのは、第二次世界大戦の頃だった。

ドイツ・イタリアの枢軸国側はイギリス支配下のマルタに猛爆撃を加えた。ある日、モスタ・ドームを爆弾が直撃。でも、何故か爆発は起こらなかった。人々はこれを奇跡と信じ、信管を抜き取った爆弾を今もドームに飾っている。



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