ロムルスの神殿
西暦306年、古代ローマ帝国皇帝マクセンティウスの息子ロムルスが、幼くして亡くなった。それを悲しんだ皇帝が息子の為に建てたのが、右の画像にあるロムルスの神殿だと言われている。但し、こんな遺跡にはありがちのことなんだけど、本当に皇帝の息子ロムルスのための神殿だったかどうかはサダカではないらしいよ。 ティトスの凱旋門紀元前63年、ジュリアス・シーザー(カエサル)と三頭政治を行ったことで知られるポンペイウスがユダヤ人の住むイスラエルを占領した。以後、イスラエルは古代ローマの領土となり、西暦30年のイエス・キリストの処刑も古代ローマから派遣された総督の命によって行われたんだね。でも、ユダヤ人たちが古代ローマ帝国による支配に従順だったわけじゃない。西暦66年にはユダヤ人たちが反乱を起こした。そのユダヤ人との戦いを指揮したのが、やがて古代ローマ帝国皇帝となったヴェスパシアヌスとその息子のティトスだった。 やがてエルサレムは占領され、ユダヤと古代ローマ帝国との戦いは西暦73年に終わった。そんなティトス帝の功績を称えるために建てられたのが、下の画像にあるティトスの凱旋門なんだ。
但し、このティトス帝なんだけど、必ずしも運の良い人ではなかった。彼が古代ローマ皇帝となった後、西暦79年にはヴェスヴィオ火山の噴火によってポンペイは埋没し、その翌年にはローマで大火が発生し、そのまた翌年には疫病が大流行。その年、ティトス帝自身も亡くなっている。 マクセンティウスのバシリカフォロ・ロマーノを歩き終えたところで、後ろを振り返る。下の画像が振り返った私の目に写った風景なんだ。画像の中の左手遠くには上の画像にあるティトスの凱旋門が見える。右手にある丘の上の大きな建物は、マクセンティウス帝のバシリカだね。
この巨大なバシリカを建てたマクセンティウス帝なんだけど、このページの冒頭に掲げた画像に写っているロムルスの神殿を建てた人物でもある。 西暦312年、マクセンティウス帝はライヴァルのコンスタンティヌス帝にミルウィウス橋の戦い(ミルヴィオ橋の戦い)において敗れてしまったんだ。その結果、マクセンティウス帝はロムルスの神殿もバシリカも完成させることが出来なかった。 ちなみにマクセンティウス帝を打ち破ったコンスタンティヌス帝なんだけど、宙に現れた十字架によって勝利を得たとも言われるね。その様子はヴァティカン博物館・美術館の中のコンスタンティヌスの間に描かれている。そして、彼は古代ローマ帝国においてキリスト教を信仰することを認めたわけだ。 そんなコンスタンティヌス帝の凱旋門は.....次のページに書くことにしよう。
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