「オスティアの戦い」とローマ教皇レオ4世
ティベレ川畔に発展したローマは、直接には海に面していないんだ。そこで、ローマの外港として発達したのが、オスティアの街だった。そのオスティアの街は、9世紀頃にはイスラム教徒の艦隊(あるいは海賊)によって脅威を受け、時には襲撃されていたらしい。
そんなオスティア、更にはローマを守るために城壁を築き、艦隊を組織したのが当時のローマ教皇レオ4世だった。彼はナポリやアマルフィなどのカンパーニャ地方の諸都市の艦隊を組織し、イスラムの艦隊に対抗させた。そして西暦849年にカンパーニャ地方連合艦隊がオスティアにおいてイスラム軍を撃ち破った。その「オスティアの戦い」の様子を描いたのが、下の画像にあるラファエロ工房の作品なんだ。
ちなみに、この「オスティアの戦い」は、オスマン・トルコに対するキリスト教徒連合軍による遠征という教皇レオ10世の計画を暗示したものだとも言われている。実現はされなかったけどね。(キリスト教徒連合艦隊によるオスマン・トルコ艦隊の撃破は、後のレパントの海戦において実現することになるんだけどね。)
エリート芸術家 ラファエロ
ラファエロは芸術的才能だけではなく、容貌にも恵まれていたんだそうな。加えて、極めて愛想が良く、多くの人々が魅了された。
しかも、25歳の若さでラファエロはヴァティカンでの仕事を与えられ、ユリウス2世やレオ10世などのローマ教皇の寵愛を受け、巨額の収入を与えられ、豪華な屋敷に住み、多くの弟子と女性たちに囲まれていたんだ。その暮らしは、まるで大貴族のようだった。
しかし、そんな超エリート芸術家も、死からは逃れられなかった。ラファエロは37歳の若さで亡くなり、ヴァティカンの中のコンスタンティヌスの間は、彼の弟子たちによって完成されることになったわけだ。
関連書籍
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