聖マタイの遺骸とサレルノ大聖堂と ロベール・ギスカールとグレゴリウス7世
どうして聖マタイの遺骸がサレルノのドゥオモにあるか ?? 現地で買った英語の資料を読んで、一生懸命に調べましたよ。その英語がイタリア語まじりで、しかも文法がヘンだから苦労したんだけどね。ま、要はこういうわけだ。
4世紀頃、聖マタイが殉教したエチオピアから、彼の遺骸がイタリアに運び込まれた。ところが、北からはゲルマン系西ゴート族が侵入し、南のアフリカからはイスラム教徒が襲いかかり、聖マタイの遺骸はあちこちを転々としていた。
そして西暦954年、ロンバルディア族のサレルノ公ジスルフォ1世は、各地を転々としていた聖マタイの遺骸をサレルノに運び込んだ。そのサレルノ公の子孫ジスルフォ2世の妹と結婚したのが、フレンチ・ノルマン系(つまりヴァイキングの子孫)のロベール・ギスカールだった。
西暦1076年、ロベール・ギスカールはサレルノを征服した。ローマ教皇グレゴリウス7世は、サレルノを征服したロベール・ギスカールを非難したんだ。ところが、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と対立したローマ教皇グレゴリウス7世はロベール・ギスカールと和解し、西暦1080年には彼のサレルノ征服を認めちゃったんだ。
その同じ西暦1080年、いつの間にか忘れ去られていた聖マタイの遺骸が、サレルノ大司教アルファノ1世によって再発見された。それを聞いた教皇グレゴリウス7世は、ロベール・ギスカールに対して、聖マタイを祀るサレルノ大聖堂の建立を勧めた。もちろん、ロベール・ギスカールは教皇のアドバイスに従い、サレルノ大聖堂建立のスポンサーになったわけだ。
そして西暦1085年、ローマ教皇グレゴリウス7世、サレルノ公ロベール・ギスカール、サレルノ大司教アルファノ1世の三人は、相次いでこの世を去った。全員が天国に行ったかどうかは定かではないけどね。
聖マタイの像
そんな物語を残す聖マタイの墓の裏に回れば、聖マタイの像(下の画像)を見ることが出来る。
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