15. 古代ローマの街角 (ポンペイにて)西暦79年8月夏の太陽に照らされ、南イタリアの大地はカラカラに乾燥していた。突如として大地を轟音が揺るがす。驚く人々の目に映ったのは怒り狂う火の山ヴェスヴィオ。街を襲うのは熱風と火山灰と溶岩のかけら。人口2万人の古代ローマの街ポンペイは、火山灰の下に埋もれた。西暦79年8月24日。それから1630年の歳月が流れ、西暦1709年のこと。井戸を掘っていた男が大理石の柱を見つけた。人々はその周囲を掘りかえし、古代の彫刻を取り出した。しかし、まだポンペイは目覚めなかった。 西暦1748年、当時のナポリを支配していたブルボン家の王カルロス3世は、付近の発掘を命じた。これが、火山灰のタイム・カプセルに閉じ込められていた古代の街ポンペイが目覚める時となった。 という風に歴史の本ならば書くところなんだろうなあ。でも、タイム・カプセルおかげと言っちゃなんだけど、さすがにポンペイ。当時の人々の暮らしをしのばせるものがたくさん残っているねえ。 古代ポンペイの横断歩道
例えば上の画像。古代ローマの街ポンペイの大通りだよね。その大通りに一定の間隔で四角い石が置いてあるのが見えるかな。実はこれが古代の横断歩道なんだ。で、その四角い石の間の車道には轍の痕が残っているでしょ。車はこの横断歩道の石を避けて通っていたわけだ。 古代ローマといえば、ローマにあるパンテオンやコンスタンティヌス帝の凱旋門やコロッセオ(円形競技場)が頭に浮かぶよね。でも、2000年前の横断歩道って、もっとスゴイかも !! |
古代ポンペイの水飲み場
右の画像は、道端で見かけた水飲み場。もちろん、蛇口は後世のものだけどね。(古代ローマの人々のヘア・スタイルは右の画像みたいだったのかな。)水道橋も古代ローマを代表する遺跡。だけど、考えてみれば水道橋で運んだ水を利用することが目的なんだよね。水飲み場が無くちゃおかしいわけだ。 ついでだけど、古代ローマ時代の水道橋といえば、フランス南部プロヴァンス地方に残るポン・デュ・ガールの水道橋やスペインのセゴビアに残る水道橋が有名かな。 古代ポンペイの水道管
水を利用するために、古代のポンペイの街では水道管も使われていた。それが右の画像なんだ。さすがに先進的 !!だけど、この水道管は鉛で出来ていた。だから、ポンペイの市民には鉛の中毒に苦しむ人が多かったんだそうな。 ひょっとすると最古の公害なのかもしれないけど、そんなところまで先進的じゃ困っちゃうけどね。
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