晩秋のヴェネツィア(イタリア)

(1996年11月)

10. ため息橋 (ヴェネツィア)

カナル・グランデの入口付近をグルリと周ったゴンドラは、ドゥカーレ宮殿(ドージェ宮殿あるいはヴェネツィア総督宮殿)の横の細い水路に入っていく。

もう一人の謎の男が、相棒の奏でるアコーディオンに合わせて歌い始めた。もちろん、イタリアのカンツォーネだ。(なるほど、この男は歌手だったか !! )

ドゥカーレ宮殿裏の「ため息橋」

やがて、私たちのゴンドラは「ため息橋」(下の画像)の下を通過。ドゥカーレ宮殿とその裏手にある牢獄とを結ぶ橋なんだ。ドゥカーレ宮殿から牢獄に送られる罪人達は、この橋の窓から美しいラグーナの景色を見ることができた。でも、それがラグーナの見納めだと知っていた彼らは、ラグーナを見ながらため息をついたんだそうな。

ドゥカーレ宮殿の裏のため息橋(ヴェネツィア、イタリア ドゥカーレ宮殿の裏のため息橋(ヴェネツィア、イタリア ドゥカーレ宮殿の裏のため息橋(ヴェネツィア、イタリア ドゥカーレ宮殿の裏のため息橋(ヴェネツィア、イタリア

こっ恥ずかしい !!

それにしても、どうにもこっ恥ずかしい !! 私たちは運河の横や橋の上を歩く人々の注目の的になっている。私たちにカメラを向ける人々もいるくらいなんだ。

そりゃねえ、歌とアコーディオンでにぎやかなゴンドラが狭い運河を通過するのを見れば、誰だって興味を持つよねえ。船頭さんはともかく、乗っているのは、アジア人のカップルにアコーディオン弾きと歌手だからねえ。






「東方見聞録」で有名なマルコ・ポーロの家

マルコ・ポーロの家(ヴェネツィア、イタリア) ある建物の下を通過するとき、船頭さんが教えてくれた。これが東方見聞禄で有名なマルコ・ポーロの家(右の画像)なんだって。

ちなみに、マルコ・ポーロが東方での貴重な経験を語ったのは、何度もヴェネツィアと戦ったジェノヴァに捕えられていたときのこと。

牢獄の中で彼の話を聞いた人物が、「東方見聞録」を書いたわけだ。

マルコ・ポーロ
  • 1254年生まれと推定されているが、確認はされていない。

  • 1271年、17歳のときに父親たちと共にヴェネツィアを出発。

  • 1275年、現在の北京においてフビライ・ハーンに謁見。

  • 1295年、ヴェネツィアに帰還。既に41歳になっていた。

  • 1324年、マルコ・ポーロ死去。

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