イタリア北部周遊

ミラノ、フィレンツェ、ピサ、チンクエ・テッレ、ジェノヴァ
(1996年09月)

17. メディチ・リカルディ宮殿など
(フィレンツェ)

サン・マルコ美術館(修道院)でフラ・アンジェリコなどの宗教画を見て、更にフィレンツェ市内を歩き回る。少しづつ青空が広がってきたのがうれしいよね。やっぱりイタリアには青空がよく似合うからね。

ブルネレスキの捨子養育院

やって来たのはサンティシマ・アヌンツィアータ広場。この広場に面して立つのが、下の画像にある捨子養育院(オスペダーレ・デラ・インノチェンティ)なんだ。

ブルネレスキが設計した捨子養育院(フィレンツェ、イタリア) ブルネレスキが設計した捨子養育院(フィレンツェ、イタリア) ブルネレスキが設計した捨子養育院(フィレンツェ、イタリア) ブルネレスキが設計した捨子養育院(フィレンツェ、イタリア)

サン・ジョヴァンニ洗礼堂の門扉制作コンクールにおいてギベルティに敗れたブルネレスキは、彫刻家への道を捨てて建築家に転向した。そんなブルネレスキが西暦1419年に設計したのが、この捨子養育院なんだ。

もう一度、上の画像を見て欲しいんだけど、円形のアーチを、その直径と同じ高さを持つ円柱で支え、それを繰り返すというシンプルな構成が特徴なんだそうな。

やがてブルネレスキは、フィレンツェのシンボルでもあるドゥオモ(花の聖母マリア大聖堂 あるいは サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)のクーポラを設計し、イタリア・ルネサンスを代表する建築家になっていったわけだ。






メディチ・リカルディ宮殿

フィレンツェ市内にあるメディチ・リカルディ宮殿(イタリア) 続いて訪れたのが、メディチ・リカルディ宮殿。15世紀半ばに、フィレンツェの国父と呼ばれたコジモ・デ・メディチが建てさせた宮殿。

国父コジモは、当初はブルネレスキに宮殿の設計を注文した。でも、提出された設計案があまりに大胆だったものだから採用できなかったんだそうな。その結果、この宮殿はミケロッツォの案に従って建築されたらしい。

完成した宮殿には、16世紀半ばまでメディチ家の人々が住んでいた。その後、この宮殿はリカルディ家の所有となり、今ではメディチ・リカルディ宮殿と呼ばれている。

ゴッツォーリによる「東方三博士の礼拝」

そんなメディチ・リカルディ宮殿の2階には、メディチ家の礼拝堂も残されている。そこで見ることが出来るのが、ゴッツォーリの手によるフレスコ画「東方三博士の礼拝」(下の画像 ・・・ 絵葉書から)なんだ。

フィレンツェのメディチ・リカルディ宮殿に見るゴッツォーリのフレスコ画「東方三博士の礼拝」(イタリア) フィレンツェのメディチ・リカルディ宮殿に見るゴッツォーリのフレスコ画「東方三博士の礼拝」(イタリア) フィレンツェのメディチ・リカルディ宮殿に見るゴッツォーリのフレスコ画「東方三博士の礼拝」(イタリア) フィレンツェのメディチ・リカルディ宮殿に見るゴッツォーリのフレスコ画「東方三博士の礼拝」(イタリア)

残念ながら、その元メディチ家の礼拝堂の中はカメラの使用が禁止されている。というわけで、上の画像は絵葉書からの取り込みなんだけどね。

ちなみに、上の画像にあるフレスコ画が描かれたのは西暦1459年のことと考えられているんだけど、描かれている人物は当時のメディチ家の人々をモデルにしていると言われているんだよ。例えば、画像中央下部やや右に描かれている白馬の少年は、後の豪華王ロレンツォ・デ・メディチをモデルにしたみたい。

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