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イタリア北部周遊
ミラノ、フィレンツェ、ピサ、チンクエ・テッレ、ジェノヴァ
(1996年09月)
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11. ヴェッキオ宮殿とシニョーリア広場 - 1 (フィレンツェ)
シニョーリア広場
ドゥオモの前に立つサン・ジョヴァンニ洗礼堂を出て、フィレンツェの政治の中心シニョーリア広場まで歩く。そこで見る風景が下の画像なんだ。
メディチ家の初代トスカナ大公コシモ1世
ちなみに、上の画像に見える騎馬像は、メディチ家のコシモ1世。といっても、フィレンツェの国父と称されたコシモ・デ・メディチとは別人なんだ。(メディチ家って同じような名前が繰り返し登場するから、ややこしいよね。)
国父コシモやパッツィ家の陰謀で名高い豪華王ロレンツォ・デ・メディチは、メディチ家の中でも兄脈と呼ばれる血統に属していたんだけど、そのメディチ家兄脈の嫡流男系は西暦1519年に途絶えてしまった。
そして西暦1537年、メディチ家弟脈出身で武将として名高い黒備えのジョヴァンニの忘れ形見であるコシモ1世がフィレンツェのメディチ家の当主となり、更にはフィレンツェ大公・トスカナ大公となったわけだ。そのコシモ1世の騎馬像が、シニョーリア広場を見渡している。
ミケランジェロによる「ダヴィデ像」 ・・・ のコピー
フィレンツェのシニョーリア広場の一角では、イタリアの首都ローマにあるシスティーナ礼拝堂に残る「最後の審判」で名高いミケランジェロの手による「ダヴィデ像」(右の画像)を見ることが出来る。
・・・ と書きたいところなんだけど、シニョーリア広場に置かれているミケランジェロの「ダヴィデ像」は、コピーなんだ。
ミケランジェロの「ダヴィデ像」のオリジナルは、西暦1562年に創設されたフィレンツェのアカデミア美術学校に併設されたアカデミア美術館に移されている。(そのアカデミア美術館については、後でご紹介するけどね。)
シニョーリア広場を見下ろすヴェッキオ宮殿
ところで、右上の画像で「ダヴィデ像」の後ろに壁が見えているよね。これがフィレンツェのヴェッキオ宮殿(下の画像)なんだ。
このヴェッキオ宮殿の最も古い部分は、アルノルフォ・ディ・カンビオ (1245 - 1302) の設計によるものなんだそうな。その後、何度も増改築されている。16世紀半ばには、コシモ1世の為にヴァサーリが改築を行っている。
ちなみに、このヴァザーリなんだけど、フィレンツェを流れるアルノ川にかかるヴェッキオ橋の上にヴァザーリの廊下を残している人物なんだ。また、上に書いたフィレンツェのアカデミア美術学校の初代校長をも務めたらしいよ。
入場料一人 15,000 リラ (1,000円)を支払い、宮殿の中に入る。残念ながら、宮殿の中ではカメラの使用は禁止されているんだ。申し訳ないが、ここで宮殿の中の様子をお見せすることが出来ない。 ・・・ と書いちゃ余りに寂しいから、ちょっとだけ絵葉書でご紹介しようかな。
ヴェッキオ宮殿の500人広間
現在も市庁舎としてフィレンツェの政治の中心であるヴェッキオ宮殿の中での見所は、百合の間や500人広間(下の画像は絵葉書)などかな。
ヴァザーリによる「シエナ征服」
その500人広間には、メディチ家やフィレンツェの歴史を物語る絵画などが展示されているんだけど、その一つが下の画像(絵葉書だけど)かな。
上の画像は、ヴァザーリによる「シエナ征服」。西暦1555年に傭兵隊長ジャン・ジャコモ指揮下のフィレンツェ軍がシエナを征服したんだけど、その際の戦いの様子を描いているんだろうね。
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ヨーロッパ三昧とヨーロッパの歴史風景
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