08. ドゥオモ - 1 (フィレンツェ)
フィレンツェのドゥオモ または 花の聖母マリア大聖堂
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会から、フィレンツェのドゥオモ(「サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂」あるいは「花の聖母マリア大聖堂」)までは、歩いて 15 分ほどなんだ。しかし、雨が降り始めたというのに、ドゥオモの前には大勢の観光客が集まっているねえ。 |
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絵葉書に見るフィレンツェのドゥオモあまりに壮大すぎてカメラに入りきらないのがフィレンツェのドゥオモだよねえ。んん、仕方がない。フィレンツェで買った絵葉書で全体像をお見せするかな。
上の画像で見れば、フィレンツェのドゥオモの全体がよくわかるでしょ。左の方には八角形のサン・ジョヴァンニ礼拝堂が見えるよね。その右側にはジョットの鐘楼がそびえている。そして、ドゥオモのクーポラはブルネレスキが設計したものだよね。 ドゥオモのクーポラを設計したブルネレスキちなみに、ドゥオモのクーポラを設計したブルネレスキは、一時は彫刻家を目指していたんだ。例えば、先に書いたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会にはブルネレスキの手による「十字架のキリスト像」も残されている。ところが、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の「天国の扉」の制作コンクールでブルネレスキはギベルティに敗れたんだ。そこでブルネレスキは彫刻家から建築家に転向し、イタリアの首都ローマで建築を研究した。その成果がフィレンツェのドゥオモのクーポラに実ったわけだ。 ちなみに、ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂が完成したのは西暦1590年のことなんだけど、そのクーポラを設計したミケランジェロは、ブルネレスキの設計したフィレンツェのドゥオモのクーポラを参考にしたんだそうな。(但し、サン・ピエトロ大聖堂の完成を見ることなくミケランジェロ自身は西暦1564年に死去したんだけど。) フィレンツェのドゥオモの内部さてと、前置きはそれくらいにして、いよいよフィレンツェのドゥオモの中にご案内するかな。ドゥオモの外観は壮大で華麗なんだけど、その内部(下の画像)は意外なほどに質素なんだよね。
このドゥオモ(花の聖母マリア大聖堂)の中は、フィレンツェにおけるメディチ家の支配を覆そうとするパッツィ家の陰謀(西暦1478年)の舞台ともなったんだ。でも、ロレンツォ・デ・メディチは事件を切り抜け、やがては豪華王あるいは大ロレンツォとも称されるようになったわけだ。 ちなみに、この質素なドゥオモの中で目を引くのは、ウフィツィ宮殿も手がけたヴァザーリ (1511-1574) による天井画「最後の審判」かな。(彼はアルノ川にかかるヴェッキオ橋の上にヴァザーリの廊下をも残している。) そうそう、このドゥオモの中には興味深い絵もあるんだ。それが、イギリス出身でフィレンツェの軍司令官ともなった傭兵隊長ジョン・ホークウッドの騎馬像。百年戦争中にフランスで戦い、やがてイタリアに流れて傭兵隊長として活躍した興味深い人物なんだ。
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