1996年09月22日 04. ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」 (ミラノ)サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で行列
さて、初めてのイタリアの旅も二日目だ。出発の準備を整え、ホテルからタクシーに乗る。目指すは、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(右の画像)。なれないイタリア語の長い名前が発音し難いよ。教会の前でタクシーを降りた時点で、既に長い行列が出来ている。ここにはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるからなあ。各国の観光客も朝から並んじゃうよね。(ローマのヴァティカン美術館・博物館も行列だけどね。) 歴史あるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
このサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ来る人の殆どは、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見に来るんだろうね。でも、この教会も歴史ある建物なんだ。教会が完成したのが西暦1490年。その中にある修道院の食堂でダ・ヴィンチが「最後の晩餐」を描き始めたのが西暦1495年。完成は西暦1498年だった。(その2年後の西暦1500年にダ・ヴィンチはミラノを離れている。詳しくは、ダ・ヴィンチ略年表を。) レオナルド・ダ・ヴィンチ 「最後の晩餐」行列に並んでから1時間半が経ち、ようやくレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作の一つ「最後の晩餐」(下の画像)を見ることが出来た。言うまでもないけど、ゴルゴタの丘で十字架刑に処される前のイエス・キリストと弟子達の晩餐を描いてあるんだよね。
振り返って再びダ・ヴィンチの「最後の晩餐」十分にダ・ヴィンチの代表作「最後の晩餐」を眺めた・・・つもりで部屋(かつての修道院食堂)を出ようとしたんだけど、名残惜しくて振り返ったのが下の画像。再び「最後の晩餐」を見る機会はあるんだろうか。
この部屋はかつて修道院の食堂だったらしい。中世の修道士たちは黙々と食事をしたんだろうね。そんな静寂であるべき部屋に、中年の女性の金切り声が何度も何度も響き渡っている。「フラッシュはアカン言うてるやんか !! 何回言うたらわかんのや。」 部屋の係のオバサンは、何度も何度も注意している。それでも、こりずにフラッシュが光る。彼女の声は、夕方には枯れはててしまうに違いないね。
というわけで、私が旅行した頃には、フラッシュさえ使わなければ、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を撮影することも出来たんだ。ところが、最近の読者の方のメールによれば、今はフラッシュを使わなくても撮影禁止になっているらしい。部屋の係りのおばさん、ついに怒り心頭に達しちゃったかな。 話は変わるけど、西暦1796年にはジョゼフィーヌと結婚したばかりのナポレオンがイタリアに遠征し、このダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見ているんだそうな。
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